調査余録

 われわれが志都美村史の調査と執筆の依頼を受けて約1年、村の中をあちらこちら歩き回った。余り広くないと思っていたが、実際調査してみると、予想以上に日数を要した。大字の数は少ないが、小字が多く寺がかなり多いことも判った。調査中に古墳がなくなっていくのを見て残念に思ったこともある。まだ未調査の古墳がありそうだ。これを機会に今後も調査を続けていきたい。調査に当たっては村民のみなさんからいろいろ御教示をいただき、御案内を賜ったことを嬉しく思う。この機会に厚く御礼を申し上げたい。
 今回の調査によって、尼寺の遺跡がある程度明らかになった。これは紙面の都合で別にどこかへ発表したい。また、明王院跡から延元元年の文字瓦が出土したことを聞いて嬉しかった。最も大きい収穫の一つは、畠田の永福寺境内に移されている松香石の層塔で、これは少なくとも平安時代を降らない古い石塔で、学界に新しい貴重な資料を提供することになる。志都美村には今も寺が多いのは、やはりこうした古い寺があった名残とも考えられる。ひいては村民の信仰のほども偲ばれてゆかしい次第である。墓碑や名号供養碑は殆ど知られていなかったものが続々目についたことは楽しかったが、その調査には人知れない苦労があった。助手に大和歴史館の岩本正雄氏らの協力を得たので、難解な文字の判読には拓本や写真の技術によって助けられることが少なくなかった。また資料の整理や印刷の校正については、同館の米田りつ子さんに負うところが大きい。ここに改めて感謝の意を表したい。ある墓地の調査で、夕刻迫り辺りはまさに暮れようとする頃、先陣の元気な若い二人が火葬場内の石仏調査に当たっていたが、一日前に焼いた死体の臭気ぷんぷんとし骨片や頭蓋骨が残っていて、正に鬼気ただよう有様であったが、尚もよく続けて煤ぼけた石仏を調査してくれた。一同思わず合掌して南無阿弥陀仏を念じたものだ。一人はその夜、夢にまで見たということである。古文書の調査は改めてゆっくりさせていただくつもりである。我々の研究や調査はここ村史刊行で終わるものではない。むしろこれを機会に村内を更に詳細に踏査したいと考えている。しかし、この度蒐集した分だけでも数百頁の村史を書くに足る資料があったが、紙面の都合で詳説することができなかった。しかしこれはそれぞれ専門的にわたることが多く、かえって皆さんに読んでいただくには煩わしいことかも知れない。近頃、市町村史が次から次へ刊行されるが、いずれも大冊ばかりで気軽に読むにはふさわしくない。この意味で小冊子の形を取った志都美村史は新しい機軸を出したものといえよう。この村史を計画された黒松村長、村議会議員の各位、ならびに役場の方々に深甚なる敬意を表する次第である。町村合併によってなつかしい志都美という村名がなくなっても、志都美神社にその名を永久にとどめるわけである。村内の地名を考えてみると、どうもこの志都美という名がやはり清らかな水に関係あるようにも思えるし、御祭神から来たとも考えられるが、いずれにしても美しい好い村名である。村の今後の発展は交通や道路、河川の整備と相まって大いに期待されるのであるが、山間や丘陵地帯の開発と利用を考えるとき、住宅地、果樹菜園などに好適地である。純朴な農村志都美の村民は、このよい環境に静かに生活しておられることが真にうらやましい。しかし近代工業や新しい商業地としても進んでいかねばらならないと思う。古い歴史のあゆみを心の礎とし、新しい意気込みをもって今後益々発展せられんことを切に念願する次第である。

(土井 実、小島貞三、池田末則)